京大カンニング事件を語る

今年度の京都大学の入学試験は日本の学歴スキャンダル史に永久に残るであろう。
ハンドルネーム「aicezuki」を名乗る者が京大の入学試験中に携帯電話を使いインターネットの質問サイトにアクセスし、試験問題の解答をインターネットユーザーに聞くという大胆な事件が発覚した。

発覚から間もなく京都府警による犯人の特定が試みられ、山形県の予備校生であることが分かった。
国内の国立大学としては東京大学と双璧をなす「西の覇者」京都大学
捜査の段階でどの程度国家権力が動いたかは分からないが、国の機関に対する不正により、警察機構が動員された事態は学生運動の時代を彷彿とさせる。
最終的にaicezuki氏には偽計業務妨害の罪で令状が出た。
これは法律云々というより日本の社会の不文律を乱す者を処分する為の措置だろう。
学生運動の時代もわけのわからない罪で学生運動家が次々逮捕された。
それは安保反対や保守的な大学運営を破壊することは当時の政府が目指す新体制の邪魔になるものだったからである。
今回の京大カンニング事件の論点は日本の学歴を中心とする社会の階層システムだろう。
「大学入試」という洗礼をクリアしたものだけ幸せを掴むという暗黙のルールが日本にはあり、そのルールに対する反対の声も一部にはあるものの、実力主義の合理性や洗礼のハードルの高さゆえにその不文律も日本国民から一定の理解を受けてきた。
しかし、今回のような不正行為による洗礼の通過が許されればもはや国民の理解は得られない、現在の学歴システムへの不満が爆発し、社会問題化する可能性もある。
aicezuki氏逮捕は事実上政治問題なのである。
京都大学のほか、早稲田大学立教大学同志社大学でも同様の犯行をしていたことが明らかになり、京都大学を含め、これらすべての大学はaicezuki氏の入学を拒否している。
社会情勢を映す鏡としての一面もある大学。今回の事件は学歴と日本社会の深い関係を再確認する重要な事例となっただろう。