大学闘争を語る

大学闘争とは戦後に政府や保守系大学と革命派の学生が対立状態になったことです。
特に全共闘運動による対大学活動を指すことが多いですが、高校や予備校までが闘争状態になったこともありました。
全共闘運動の活動は「反戦」「戦前日本の否定」や「反米」など様々な立場のスローガンでデモ活動を行い、時には「実力行使」など過激な一面をもつことも多かったようです。

大学闘争は戦後間もない日本の矛盾が生み出した闘争であるといえます。
敗戦国日本は、戦後間もない時期は言論統制、集会規制などは当たり前の厳しい管理社会となりました。
しかし、その一方では賄賂や脱税、闇金などの「不正」が横行していたのです。
政治、行政だけでなく、大学の腐敗も明るみとなり、大学に対する批判的な見方も強くなっていきました。
ところが、冷戦下ということもあり、その陰で「反資本主義政府」を掲げる共産党日本赤軍達が暗躍していました。政府と闘うという面では意思は一致しているため、共産主義思想をもたない学生達の「洗脳」を目的として大学闘争に加わったのでしょう。
それ対し、大学は暴力団体や運営派の体育会系学生を使った暴力行為によって反論の封殺を行いました。そのことにより更なる反感を買い、ついに権利の獲得や正当な大学運営を主張する学生側や学生を支持する人々と大学管理に当たる当局者や、運動に批判的な人々が激突し、大きな戦いへ発展していきました。
早大・慶大・中大の学費闘争を先駆とし、大学闘争の波は大きくなっていき、各大学内での自由獲得からついには大学の枠を超え、すべての学生が「大学」そのものを敵とみなす全国全共闘運動へと進んでいき、ピーク時には全国の8割の大学がバリゲードなどを用いた紛争状態に突入しました。
学生は大学校舎を占拠、主張が通るまで立てこもり、運営側は機動隊を使い、対抗するなどまさに紛争でした。
1968年の東大紛争と日大紛争はそのピーク時の大学紛争でも最大規模と言われています。
ところが、ピークとなった東大・日大紛争はあっさり終わってしまいます。東京大学では勝利を収めましたが、共産党赤軍が絡んでいたこともあり、日本大学では佐藤栄作首相が介入し、機動隊による「武力介入」が行われ、圧倒的な武力の前に学生勢力は打ち伏せられました。
再決起を臨む声もありましたが、当時は既に明確な目標を失っており、学生達に再び立ちあがる気力はなかったようです。
しかし、騒動の影で巨大化していた共産党員や赤軍はその後も活動を続け、あさま山荘事件などを引き起こします。

「聖戦」として民衆から持て囃された大学闘争。
一大騒動であった大学闘争が日本に良い影響を与えたのかはわかりません。
大学闘争の「大学の正常化」という「大義」は確かに正しいものです。
しかし、結果として「大義」の影で騒動を一般化させ、共産党員や日本赤軍などが暗躍しやすい環境を生み出したことも事実でしょう。

現在、また所謂「デモ」が活発化してきています。
しかし、明確な目標を失い、デモをすることが目的となっていないか、デモの影で動く者達がいるのではないか。
そういった視点は現在も忘れてはならず、過去の教訓として活かすべきでしょう。