東京神田5大学を語る

少し古い話になりますが、昭和50年代までは神保町周辺の代表的な私立大学5校(明治、中大、日大、法政、専大)をまとめて神田五大学と呼んでいました。

中大が関東大震災や戦災・学生運動・校地拡大等のために郊外に移転したため、この大学群の呼称は頻繁には使用されなくなってしまいましたが、現在でも神田五大学は存在しており、各大学は進学説明会等を合同で開催しています。
神保町界隈は複数の大学・高等学校や専門学校、予備校が集まっている学生街であり、「日本のカルチェ・ラタン」として有名でした。(カルチェ・ラタンとはフランスの有名な学生街のこと)
高等学校では都立なら日比谷、小石川、竹早など
私立なら本郷、明大・中大・日大の付属校などがあります。
関東大震災までは東京商科大学(現一橋大学)もこの地にありました。

東京都の23区は旧江戸城(現皇居)を中心に同心円状に開発されていることは有名ですが
、東西南北の各地区には異なった役割があります。
東部は商業地区となっており、丸の内や大手町などが有名で、旧財閥系企業の本社や日本有数の大企業の本社がある日本一のビジネス街となっています。
西部は政治地区となっており、国会議事堂や政党本部が軒を連ねる永田町が有名です。
南部は行政地区となっており、官庁街の霞が関が有名ですね。各省庁の本省が密集している場所です。
北部は他の厳格な区画とは違い、雑多な街並みの学生街、古書街として有名です。東京大学をはじめとして明治、日大、法政などの名門私立大学もこの地区に本キャンパスがあります。
関東大震災の影響で全盛期の頃よりも活気はなくなってしまったものの、現在でも学生街に本キャンパスを置いていることは大学にとってステータスとなっており、中大も回帰を検討しているようです。
神田五大学の呼称は大学受験では聞かれなくなりましたが、これからもこの地区の大学が日本の大学の中心となって活躍していくことは間違いないでしょう。