栄光の私大バブル時代を語る

昭和の後期は日本の人口のピーク期です。
当時、増え続ける受験人口に対して大学の定員は変化しないので、年々大学の入学難易度が増していくという現象が起き、大学入試はまさに受験戦争となりました。

現在でもそうですが、受験勉強のウェイトの差があるため、受験者数は国立大学より、私立大学の方が圧倒的に多いです。
人口のピークと受験科目の差、これらの条件が重なることにより発生した私立大学への志願者の殺到。
これがいわゆる「私大バブル」を引き起こしました。

★1989年河合塾文系…経済系

ランク0[67.5〜69.9]早稲田、慶応
ランク1[65.0〜67.4]上智、東京、京都
ランク2[62.5〜64.9]明治、立教、一橋、横国、名古屋、神戸、大阪
ランク3[60.0〜62.4]日大、中大、東北、九州、横浜市
ランク4[57.5〜59.9]法政、明治学院、北海道、埼玉、首都
ランク5[55.0〜57.4]専修、駒沢、獨協、千葉、静岡、高崎
ランク6[52.5〜54.9]東洋、新潟
ランク7[50.0〜52.4]大東文化、亜細亜、拓殖、福島

驚くことに早稲田や慶応は東大、京大を超えていました。
また、日大や中大は東北大、九州大などの旧帝国大学と並んでいました。
私大バブル期の私大入学者は現代よりもレベルが高いといわれています。
つまり、この時期に高偏差値だった私立大学はOBが一流企業で活躍していることも多いので丁度、今くらいの学生はOBの活躍の恩恵を受けやすいかもしれません。
大学選びはこういったことも参考にしてみるといいと思います。