古賀茂明からみる”東大像”

今月26日に経済産業省を退職した元経産省大臣官房付古賀茂明氏。
省内でキャリアを積みながらもあっさり辞職し、現在ではメディアでヨイショされている古賀氏であるが、彼の行動から典型的な東大像がうかがえる。

古賀氏は麻布高校から東京大学法学部卒という典型的エリートの経歴をもつ人物である。
東大時代は「つまらなかった」と語りつつ、2年間のプータローを経て典型的な東大の就職先である高級官僚へ。
当時は何の考えもなく「知人の勧めで」という"なし崩し的"な発想で官僚となっている。その後は官僚でありながらマスコミの支持(ヨイショ)を背景に改革派などとのたまいながら好き放題。そして今回の辞職劇である。
その後にみんなの党大阪維新の会から打診を受け、出馬との情報も入っているが如何せんまた"なし崩し的"に物事に取り組もうとしている。
このように"場当たり的"、"適当"といった人物像が浮かんでくるが、これは何も古賀氏に限ったことではない。このような心理は東京大学OBに働く一般的な心理作用なのだ。

昭和の世界で「東京大学」という看板は極めて強力であった。その気になれば日本で出来ないことは無くなる程に。
それゆえ東大OBはこのように場当たり的、気分屋的な人間が多い。
昭和期のガラパゴスニッポンならそれも通用したかもしれない。東大の神通力、東大の名前だけですべて片がついた時代がたしかにあった。古賀氏が通産省に入省した時代もまさに「東大の栄華ここに極まり」という時であったろう。
しかし、いまやガラパゴスニッポンは崩壊、東大の名前だけですべて片がついた時代も終焉を迎えた。
古賀氏は自身が掲げる改革とやらを達成できず、無職(負け犬)となったわけであるが、
この際も「国民の支持があれば勝てると思った」と捨て台詞を吐いている。
徹頭徹尾、他力本願。自分がやっている物事に対して深い考えは持っていない様子が伺える。
最後の最後まで典型的な"東大生"であった。

過去の「おれは東大だから何でもできる」が通じた時代を忘れられず、最期にはこうして負け犬となるパターンは古賀氏ばかりではない、今日本の至る所で見られる出来事である。
東大生が自身の驕りを改めず、時代とズレ続ければ、いつか東大生がいらなくなる時代が来るかもしれない。